松江地方裁判所 昭和42年(ワ)32号 判決 1969年2月28日
原告
石倉朋子
ほか一名
被告
山本昭男
ほか一名
主文
被告等は連帯して原告石倉朋子に対し金一〇〇万円、原告石倉周に対し金三〇万円及びこれに対しいずれも昭和四一年五月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
原告等その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告等の負担とする。
この判決第一項は仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は「被告等は各自原告朋子に対し四〇〇万円、原告周に対し五〇万円を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行宣言を求め、その請求原因として、
一、被告秋原は昭和四一年五月二八日午後四時頃普通貨物自動車(島根四の一二二九六号、以下加害車という)を運転して時速約一五キロメートルで島根県八束郡八雲村大字西岩坂一七九七番地先道路を北方から南方へ進行中、その前方道路左側端で子供用自転車にまたがり停車していた原告朋子の右側を通過する際、同人の動静に注意し、且つ同人と接触しないよう相当間隔をとり徐行して進行すべき注意義務を怠り、原告朋子の動静に対する注視不十分のまま進行した過失により、右側に転倒した同人を加害車の左後輪で轢き、原告朋子に対し右開放性腸骨骨折、左恥骨骨折、右示指中指手背挫創、右拇指開放骨折、頭蓋内出血、右顔面挫創により治療四ケ月を要する傷害を与えた。
二、加害自動車は被告山本の所有で、同被告は被告秋原運転にかかる加害車を当時自己のために運行の用に供していたところ、前記のとおり右自動車の運行により原告朋子の身体が害されたのであるから、原告等に対し自動車損害賠償法三条によりこれによつて原告等が蒙つた精神的損害を賠償すべき責任がある。又被告秋原は過失により原告朋子の身体を傷害し、後記のとおり原告等に対し甚大な精神的苦痛を与えたから民法七〇九条により原告等に対し精神的損害を賠償すべき責任がある。
三、原告等は前記事故のため次のとおり損害を蒙つた。
原告朋子に対する慰藉料四〇〇万円、原告周に対する慰藉料五〇万円
原告朋子は昭和三二年一二月七日生れ、原告周の二女で事故当時満八才の身体健康な女児であり父周、継母一栄、姉、妹と共に生活し小学校に通学していたところ、本件事故によつて瀕死の重傷を負い昭和四一年五月二八日から同四一年九月七日まで松江市立病院に入院し治療を受け、一時危篤状態にあつた。退院後小学校に通学できるようになつたが体育の時間には走ることができず見学している始末であり、右拇指先が骨折のため醜く変形し、右横腹に横一文字に大きく醜い創跡が残り、骨盤が変形しているため将来通常分娩は不可能である。
右のような後遺症及び傷跡があるため将来結婚に重大な支障を来す状態であつて原告朋子が本件事故により蒙つた精神的打撃は甚大である。
原告周は愛児朋子が重傷を負い約一週間にわたつて危篤状態に陥つたため命を失うのではないかと心配した。又父として愛児の将来につき幸福な結婚を期待していたのであるが右のような後遺症及び傷跡によりその期待が裏切られることになり深刻な精神的打撃を受けた。
四、よつて被告等は各自慰藉として原告朋子に対し四〇〇万円、原告周に対し五〇万円、及びこれに対するいずれも事故の翌日である昭和四一年五月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
旨述べ、〔証拠略〕を援用した。
被告等は「原告等の請求を棄却する。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として、第一項中原告朋子が原告等出張の日時にその主張の場所で被告山本の運転する加害車に轢かれ原告主張のような傷害を蒙つたことは認めるも、その余は否認する。第二項中加害自動車が被告山本の所有で、同被告が被告秋原運転にかかる加害車を当時自己のため運行の用に供していたことは認めるもその余は争う。第三項中原告朋子が原告主張の期間松江市立病院に入院し治療を受けたこと、原告朋子が原告周の二女であることは認めるも、その余は知らない。
本件事故につき被告秋原には過失がなかつた。仮に過失があつたとしても原告朋子にも過失があるから被告等は過失相殺を主張する。
旨述べ、甲号各証の成立は認める。検甲第一ないし三号証が原告朋子の体の一部を写したレントゲン写真であることは認める旨陳述した。
理由
一、加害自動車が被告山本の所有で、同被告が被告秋原運転にかかる加害車を当時自己のため運行の用に供していたこと、原告朋子が原告周の二女であること、被告秋原が昭和四一年五月二八日午後四時頃加害車を運転して島根県八束郡八雲村大字西岩坂一七九七番地先道路を北方から南方へ進行中原告朋子を轢き同人に対し右開放性腸骨骨折、左恥骨骨折、右示指中指手背挫創、右拇指開放骨折、頭蓋内出血、右顔面挫創により治療四ケ月を要する傷害を与えたことは当事者間に争いがない。
二、右争いのない事実に〔証拠略〕を綜合すると
(一) 本件事故の現場は島根県八束郡八雲村大字西岩坂一七九七番地先村道で有効幅員三・二米の非舗装道路で道路の東側にはブロック塀が、西側には雑草の生えた崖があるが、北方より南方への見透しは良好な個所であること。
(二) 被告秋原は、事故当日八雲村大字平原において加害車の後部荷台に直径約三〇センチの石材を約三〇個積んで助手席に石倉文一を同乗させ、同村大字西岩坂桑並中組に向つて右事故現場附近の狭隘で凹凸のある砂利道にさしかかつたところ、約一五・四米前方道路左側に自転車に乗り、左手を右ブロック塀に置いている原告朋子を発見したので時速約一〇粁に落とし、その右側を通過したこと、その際加害車と自転車との間には約五〇センチ程度の間隔しかなかつたこと、原告朋子は加害車を約二、三〇米後方に認めたので、自転車を停止させ、スタンドを立てたままでこれに搭乗し両足をペタルの上に乗せ左手を右ブロック塀に置いて体を支えていたが、体がふらつき加害車の左後輪の直前に転倒したので前記のような傷害の結果を生ずるに至つたものであることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。
以上認定事実からすれば、前記認定のような道路の状況の下では、進行中の貨物自動車が左右に動揺して傾くことがあるべく、そのためすれ違いの際お互に接触し、ひいては不測の事故を起す危険があるから、自動車運転者たる被告秋原としては万が一にもかかる危険の起らないように常に原告朋子の動静に注視し、同女が動揺して不安定な状態にある時は自動車を一旦停止し、同女が自転車から降り退避した後に自動車の進行を継続する等適切な処置を講ずべき業務上当然の注意義務があるにかかわらずこれを怠り、前記認定のように約五〇センチの間隔を存しただけで安全にすれ違い得るものと軽信し、原告朋子の動静を注視せず漫然進行を続けた点に過失があるものと認むべきであり、原告朋子の前記傷害は被告秋原の過失に起因するものといわなければならない。
(三) そこで次に被害者たる原告にも右事故につき過失があるかどうかにつき検討する。
前記認定のような状況の下にあつては加害車と自転車が互に接触し、不測の事故を起す危険性のあることが明らかであるから、原告朋子としては加害車が後方から進行してくるのを認めた以上、自転車から降り加害車を退避する等の措置をとるのが至当であつたのに、漫然不安定な姿勢のままで自転車に搭乗したまま停止していた過失により、加害自動車が通過した際体がふらつき同自動車の左後輪の直前に転倒したことが認められるから原告朋子にも過失があつたものといわなければならない。そして〔証拠略〕を綜合すると本件事故当時原告朋子は既に八才で小学校二年生であつたから、少くとも自転車による道路通行に関する限り十分事理を弁識する能力をそなえていたものと認めるのが相当であるところ、同原告に右の程度の分別を期待することは無理とは思われないから、原告朋子が加害車とすれ違い始めるまで前記のような姿勢で自転車に搭乗し続けたことは損害賠償算定に当り斟酌すべき被害者の過失といわなければならない。
従つて被告山本は自動車損害賠償法三条により、被告秋原は民法七〇九条により原告朋子が本件事故によつて蒙つた損害を賠償すべき責任があり、右各損害賠償義務は不真正連帯の関係にあると認められる。
三、よつて、前記認定の傷害によつて原告朋子の精神的損害の有無及び慰藉料額について考えるに、〔証拠略〕を綜合すると、原告朋子は昭和三二年一二月七日生れ、原告周の二女で、事故当時満八才の身体健康な女児であり、父周、継母一栄、姉、妹と共に生活し小学校に通学していたところ、本件事故により重傷を負い昭和四一年五月二八日から同四一年九月七日まで松江市立病院に入院し治療を受け(原告朋子がこのような入院治療を受けたことは当事者間に争いがない)、一時危篤状態にあつたこと、退院後小学校に通学するようになつたが体育の時間にはしばらく見学していたこともあり、右足がわずかに短かいため固い地面では軽く跛を引くこと、右拇指が骨折のため約一・五センチ短かく醜く変形し、右横腹に横一文字に大きく醜い創跡があり、骨盤が変形しているため将来通常分娩に支障があることが認められる。右のような部位に形状の異常や廃痕の残存することは、将来結婚するに際して相当不利な条件となることはいうまでもないから、これによつて原告朋子が相当程度の精神的苦痛を感ずべきことは常識上疑いなく、これに前記認定の諸般の事情及び原告朋子が後記認定の原告周の二女である事実並びに被害者の過失を斟酌すれば、右精神的苦痛は一〇〇万円を以て慰藉するのが相当と認められる。
四、次に原告周においても原告朋子の身体に前記の如き異常ないし創痕の残存することにより同原告が果して世間並みの好配偶を得て幸福な結婚生活にはいることができるかどうかを危倶するなど人の親として相当の精神的苦痛を味つているであろうことは当然であり、その苦痛は原告朋子が死亡した場合に受くべき精神的苦痛に必らずしも著しく劣るものとは考えられないから、原告周は被告等に対し自動車損害賠償法三条、民法七〇九条、七一〇条に基づき自己の権利として慰藉料を請求できるものと解すべきであり、被告等の右各損害賠償義務は不真正連帯の関係にあるものと認められる。そして〔証拠略〕を綜合すると、原告周は昭和九年三月六日生れで肩書地で材木商を営み、事故当時原告朋子の他に女子二名があるにすぎないことが認められ、右事実に原告朋子の受傷には前記の如き被害者の過失も存すること等を綜合すれば原告周の蒙つた前記精神的苦痛は三〇万円を以て慰藉すべきものと認めるのが相当である。
五、以上の次第で原告等の本訴請求は被告等に対し連帯して原告朋子に一〇〇万円、原告周に三〇万円及びこれに対するいずれも事故の翌日であること記録上明らかである昭和四一年五月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項但書を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 元吉麗子)